8月24日、北京:
腕を組んで、選手たちは長い間アメリカの定位置だった表彰台の真ん中に上った。
Jesse Garrabrant/NBAE/Getty Images
念願の金メダルを手に入れ喜ぶチームUSA
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そう、メダルは金色に輝いていた。アメリカが長年常に勝ち取ってきた色だったが、2000年以降手にできなかった色だった。
その屈辱を晴らすための3年間にわたるミッションの最終章として、アメリカはスペインの猛反撃を何とかかわして、最終的に118-107と勝利。オリンピック最終日となった日曜日、待望の金メダルを獲得した。
インターナショナル・バスケットボール界でアメリカがトップに立ち、かつての順位が回復された。
「スペインには大いなる敬意を払うが、アメリカが再び頂点に返り咲いた」と、チーム全員に出席を呼びかけた記者会見でレブロン・ジェイムスは胸を張った。
だが、ことはそんなに簡単には運ばなかった。
オリンピックに入ってのここまでの7試合、アメリカは全チームを圧倒してきたが、この決勝戦では残り2分半にわずか4点しかリードを奪えなかった。だがそこから北京では一度も起こらないように見えた大接戦に対処できることを証明した。
その結果手にしたのは、2000年シドニーオリンピック以来の金メダルだった。
銅メダルは、リトアニアを87-75と制したアルゼンチンが獲得した。
アメリカではドウェイン・ウェイドが27得点、コービー・ブライアントも20得点と奮起した。スペインはアメリカが予選ラウンドで37点差をつけて圧勝した相手だったが、この決勝戦では最後まで激しく追い詰められた。
だがアメリカは最終盤、怒涛のオフェンスを成功させて乗り切った。コービーが残り3分10秒にクラッチ4点プレイを決め、3ポイントを成功させた後、バスケット裏の騒々しいスペインの応援団に向けて、静かにするように人差し指を口にあてるしぐさをした。
その後ウェイドがまたも3ポイントを決め、残り2分には111-104とした。そしてその時点でようやくアメリカは少しホッとすることができた。
残り26秒にスペインがテクニカル・ファウルを取られて中断した間、選手たちは互いに祝福を始めた。そして試合が終わり、"Born in the USA"がアリーナのスピーカーから流れると、全員がコート中央に集まって喜びを爆発させた。
チームUSAのマイク・シャフェフスキーHCは、「我々はインターナショナル・バスケットボールの歴史に残る素晴らしい試合で、気持ちを一つにしてプレイした」とチームを称賛した。
この北京オリンピックでは、どのチームもアメリカを接戦に持ち込むことはできなかった。オリンピックでこのチームの唯一の競争相手になるのは、ドリームチームだろうと思われた。ジョーダン、マジック、バードらが1992年のバルセロナオリンピックで世界を席捲したチームである。
だが彼らと比較するのはやめよう。日曜日のチームUSAは、幸いなことにスペインよりいいチームだった。
スペインではルーディ・フェルナンデスが22得点、パウ・ガソルも21得点と奮起。世界選手権ディフェンディング・チャンピオンは、オリンピックで初の金メダル獲得という大いなる希望を持っていた。
アメリカの選手たちはチャレンジを称え、試合後にスペインの選手たちを抱きしめた。コービーはロサンゼルス・レイカーズのチームメイト、ガソルを特に長く抱きしめ、背中を軽く叩いた。
「アメリカは予想通りのことをやった。我々も最後まで懸命にプレイしたのだが」と無念な表情を見せたガソルの夏は終わった。
スペイン選手の健闘を称えた後、アメリカの選手たちはその歓喜の瞬間を実感するかのようにセンターコートに集まり、円陣を組んで共に高く飛び跳ねた。観客に誇らしげに手を振る姿に対し、シャフェフスキーHCはサイドラインで拍手をしていたが、その目は潤んでいた。
「我々の前に厳しい道があるのは分かっていた。だがうちの選手は簡単に倒れたり、あきらめたりはしないことも分かっていた。我々は真の男にならなくてはならなかった。真の男たちが勝利を呼び寄せた」とフォワードのクリス・ボッシュは心から喜んだ。
チームUSAは最初の7ゲームを平均30.3点差をつけて圧勝し、それにはスペインを119-82と大破した試合も含まれた。しかしこの決勝戦では一度も支配できず、ポイントガードのホセ・カルデロンを怪我で欠くディフェンディング・ワールド・チャンピオン、スペインに、外からの3ポイントを許し、ペイントでも多くの点を与えた。
だが赤、白、青のユニフォームを身につけるのを長く待ち、遂にまとったコービーが、勝負のかかった第4Qに2本の3ポイントを成功させて勝利に導いた。優勝が決まった後にはフロアーを手で叩いて喜びをほとばしらせた。そして3度のNBA優勝、リーグMVPなど多くのバスケットボールの栄誉がつまる自身のコレクションに、新たに金メダルを付け加えた。
チームUSAでは他にレブロン・ジェイムスが14得点、カーメロ・アンソニーとクリス・ポールもそれぞれ13得点をマーク。アメリカは2004年のオリンピック、2006年の世界選手権と、ここ2回の国際大会で銅メダルに終わっていた。
2002年の世界選手権の6位に続いて、4年前のアテネ・オリンピックでは銅メダルと、自国バスケットボール史上最悪の事態に見舞われたアメリカは、北京での金メダルに向けてプラニングを開始した。アメリカ・バスケットボールの責任を任されたジェリー・コランジェロが、2006年にナショナルチーム・プログラムを発案し、プレイを望む選手に3年間のコミットメントを要請した。
コービーとレブロンはすぐさま快諾し、他に依頼した選手もほぼ全員が参加を決めた。かつてアメリカが堅持し、自国にあるべきだと感じるものを取り返すために、3年間の夏を喜んで捧げたいと思うNBAスターからなる軍団が結成された。
そしてコランジェロは以前のチームUSAなら恐らく負けていたであろうこの決勝戦のスペインチームに対して、選手たち全員の力を必要とした。
「04年のチームの一員だったが、我々は自分たちの力を示す機会が実際には得られなかった。だからこのチームを引っ張れるように助力したかった」と、アテネに参加した4選手の1人のウェイドは言う。
ジェイソン・キッドはシニアの国際舞台で56勝0敗と連勝記録を伸ばし、2000年の金メダルに新たな金メダルを加え、13人目の複数の金メダル保持者となった。
マイケル・ジョーダン他7名のドリームチームメンバーが含まれるそのエリートリストは、2012年にはもっと増える可能性がある。ポールとドワイト・ハワードは、もし要請されればロンドン・オリンピックにも参加すると表明。恐らくこのチームの半数が加わるのではと予想される。
レブロンは既にアメリカがNO.1だと信じて、指を高く空中に掲げて試合前のウォームアップに飛び出して来た。だがアメリカは前半70%以上のフィールドゴール成功率を記録したが、NO.1だということを証明するには長い時間がかかった。
レブロンとコービーが第1Q開始3分半の間にそれぞれ2つのファウルを取られ、2人ともベンチに下がった。ウェイドが入り、そこからの得点を担ったが、他の控え陣はいつもの大量リードに導くことはできなかった。
一方、スペインは最初の9本のショットのうち7本を成功させ、第1Qほとんどをリードした。レブロンとウェイドがすぐさま10点をあげて、前半残り4分には14点リードに導いたが、スペインは徐々に追い詰め、ハーフには61-69と8点差に追い上げた。
「我々は北京で信じられないチームといくつか対戦した。スペインが大きな障害になるだろうということは分かっていた」とコービーは語った。
第4Q残り8分13秒にはフェルナンデスの3ポイントで、アメリカは91-89と2点差に追い上げられ、絶体絶命の窮地に追い込まれた。だがコービーが2ポイントの後、3ポイント、レブロンも2ポイントを決めて残り5分18秒に103-92と11点リードとし、安全圏に入ったように見えた。
だが絶対にあきらめないスペインは、カルロス・ヒメネスの3ポイントで残り2分25秒に104-108と4点差に追い上げた。しかしウェイドが残り2分03秒に3ポイントを返して111-104とし、その後は苛立ったスペインがテクニカル・ファウルを取られ、アメリカはフリースローを決めていった。そして最終スコアを118-107として、悲願の金メダル奪還のロングジャーニーに結末をつけた。


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