絶好調のサンアントニオ
マヌ・ジノビリの自由奔放なスタイルがスパーズを活性化

ジョン・ハレアス

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ひょっとすると彼は、NBAのドラフト史上まれに見る掘り出し物だったのかもしれない。1999年6月30日のドラフト当日、マヌ・ジノビリの名前が挙がったのは、すでに56人もの選手が指名された後だった。それから2シーズン余りを経た今、27歳になったこのアルゼンチン出身のプレーヤーは、かつて彼の能力を見抜けなかった多くのNBAジェネラルマネージャーを後悔させているだけでなく、NBAのスタープレーヤーとして大活躍し、オールスター初出場に向かってまっしぐらだ。ではスパーズは、ジノビリのこれほどの活躍を当時から予測していたのだろうか?そうではないようだ。

Glenn James/NBAE/Getty Images
「あの時、ドラフトはすでに指名50位台(2巡目後半)に入っていた。」サンアントニオ・スパーズのヘッドコーチ、グレッグ・ポポビッチはこう語る。「うちのチームに相応しい選手はもう見当たらなかったが、その中で最も運動神経の良かったのがマヌだった。で、彼をドラフトしようということになったんだ。でも、彼が今みたいな選手に育つとは考えていなかったね。あの時点でそう考えるのは、ちょっと無理があったと思うよ。」

しかし大方の予想を覆して、ジノビリはスパーズにとってかけがえのない選手となった。とりわけ今シーズンの活躍ぶりには目を見張るものがある。初めの2シーズンは控え選手として活躍し、今では2度NBAのMVPに輝いたティム・ダンカンに次いで、サンアントニオのNo.2スコアラーとしてチームの牽引役を担っている。フィールドゴール成功率、スリーポイント成功率、アシスト、そしてリバウンドなどの成績も上々だ。さらに、その終始一貫して熱狂的でペースの速いプレースタイルは相手のチームやコーチをかく乱し、自らのチームメイトをも驚嘆させ続けている。

「あいつのゲームは普通じゃない。」こう語るのはチームメイトのブレント・バリーだ。「動きはえらくぎこちないし、ステップもめちゃくちゃ。基本も何もあったもんじゃないでもそれがうまくいってる。それがあいつの能力なんだ。」

たとえ格好よくピンポイントが決められなくても、ジノビリは、たとえばニュージャージー・ネッツと闘った2003年のNBAチャンピオンシップに見られるように、近年のスパーズの快進撃をしっかりと支えている。

Garrett Ellwood/NBAE/Getty Images
「俺にもよく分からないんだ。」ジノビリ自身はこう語っている。「ずっとこうやって、つまりクレイジーに突拍子もないスタイルでプレーしてきたからね。でも、こういうスタイルになったのは18か19の頃からだ。それ以前はこんなじゃなかった。19歳の頃は、今よりもっとひどかったね。よくコーチたちに怒られたもんさ。ほめられることもあったけど、どやされることも多かった。よく分からないけど、どこかから沸いてくるんだ。ゲーム中に体で感じる何かかな。」

ジノビリのNBAでのサクセスストーリーは、従来の選手のそれとはまったく異なっている。この198cmのガードは、1999年スパーズに選ばれた後もイタリアン・リーグで3シーズンプレーを続け、リーグMVPの栄誉に2度も輝いている。このうち1シーズンでは、ヴィルトゥス・ボローニャをチャンピオンシップおよびユーロリーグ決勝戦へと導き、そこでもMVPを獲得している。2002年には、祖国アルゼンチンの世界大会銀メダル獲得に大いに貢献した。

栄誉と称賛に包まれたジノビリのキャリアの中でも最も輝かしいものは、2004年夏にアテネで行なわれた世界大会で平均19.3ポイント、57.6%のフィールドゴール成功率を上げ、アルゼンチンを金メダルに導いたことだろう。

「プロ選手にとっての最高の栄誉はNBA優勝だ」と、ジノビリは語る。「でも、祖国を代表して、3,000万人以上の応援を背に受け、表彰台の最上段に立つあの気分はちょっと言葉では言い表せないものだよ。」