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コートの 内外 で 、偉業 を 成 し 遂 げるブラディー・ディバッツとペジャ・ストヤコビッチ

国際大使

ジョン・ハレアス

バスケットにおける 彼 の 伝説 は 、 コートの 中 で 達成 したどんな 偉業 をも 超越 する 。 ブラディー・ディバッツが 、 いつ NBA からの 正式 な 引退 を 決意 したとしても 、 このセルビア 生 まれの 216cm のプレーヤーは 、現代 で 一番 パスのうまい 大男、 または NBA シーズンを 16 回 ほど 経験 し 、 13,000 ポイントを 上 げ 、 10,000 近 いリバウンドを 取 った 元 レイカーズ 、 ホーネッツ 、 そしてキングスの 選手 というだけでなく 、 それ 以上 の 存在 として 人々 の 記憶 に 残 るだろう 。 ディバッツはまた 、 NBA の MVP に 6 度 も 輝 いたセンター 、 カリーム・アブドゥル・ジャバーの 後任 という 誰 もが 嫌 がるような 役目 を 負 い 、 わずか 2 シーズン 目 にして 、 マジック・ジョンソンと 共 にロサンゼルス・レイカーズを 1991 年 NBA ファイナルに 導 いたキープレーヤーとしても 活躍 した 。 しかし 、彼 が 引退 を 決意 したときに 評 されるのは 、 コートの 中 での 輝 かしい 成績 ではないだろう 。 というのも 、平均 11.8 得点、 8.2 リバウンドという 成績 よりも 、 コートの 外 で 彼 が 及 ぼす 影響 のほうがはるかに 大 きいからだ 。
Rocky Widner/ NBAE/Getty Images

「役に立つことができて、本当にうれしく思っているよ」と、ディバッツは語る。 1989 年 に 彼 が NBA に 登場 したときは 、 ニュージャージー・ネッツの ドラゼン・ペトロヴィッチに 次 いで 、 わずか 2 人目 のヨーロッパ 人 プレーヤーだった 。「 これが 俺 の 使命 だと 感 じているんだ 。必要以上 のものを 与 えられているわけだからね 。 ゲームが 終 わって 現実 に 戻 るまでは 、 バスケットのことしか 頭 にないんだ 。 」

ディバッツの 使命感 は 、 90 年代初 めに 彼 の 故郷 であるユーゴスラビアが 、戦争 や 民族抗争 により 荒廃 したときに 芽生 えた 。 この 争 いはのちに 、 セルビア 、 ボスニア 、 クロアチア 、 コソボ 、 モンテネグロ 、 そしてアルバニアへと 広 がっていく 。

「俺 が 国 を 出 てすぐに 、 ユーゴスラビアはめちゃくちゃになってしまった 」 と 、 ディバッツは 言 う 。「俺 が 住 んでいたころは 、 おそらく 世界 で 一番美 しい 国 だったんじゃないかな 。人 も 素晴 らしかった 。 それなのに 、 たった 1 年 ですべてが 崩 れてしまったんだ 。国民 のせいだとは 言 わせないよ 。 みんな 6 、 70 年間 も 平和 に 暮 らしていたんだからね 。政治家 の 判断 が 悪 かったんだ 。国民 はただ 流 されただけさ 。 そして 今、彼 らは 助 けを 必要 としている 。 だから 、俺 は 力 になりたいんだ 。」

ディバッツは 、 ユーゴスラビア・ナショナル・チームの 他 の 6 人 のメンバー ( アレクサンダル・ ジョルジェヴィッチ 、 ゼリコ・レブラッカ 、 プレドラグ・ダニロビッチ 、 ザルコ・パスパリ 、 デヤン・ボディロガ 、 ゾラン・サビッチ ら ) と 共 に 、故国 の 分裂 によって 孤独 や 貧困 に 苦 しむ 子供 たちや 、国 を 追 い 出 された 子供 たちを 支援 するため 、 Group Seven Children痴 Foundation と 呼 ばれる 組織 を 作 った 。

「俺 は 、 あんなひどい 環境 の 中 で 生 きている 子供 たちを 助 けたいんだ 。彼 らは 戦争 で 親 を 亡 くしてしまったからね 。」 と 、 ディバッツは 言 う 。「 ここアメリカでも 、俺 は 同 じような 環境 で 生 きる 子供 たちの 力 になろうとがんばっているよ 。」

International Orthodox Christian Charities, Inc (IOCC) によると 、 ユーゴスラビアで 国外追放 された 人々 の 数 は 500,000 人 にも 上 り 、約 45,000 人 が 難民避難所 で 暮 らしている 。 このため 、 Group Seven は IOCC と 協力 し 、学用品 や 衣類 を 回収 して 寄贈 する 活動 をしている 。 また 最近 では 、両団体 は 津波 の 被害者 たちにも 物資 を 援助 した 。

ディバッツと彼のサクラメント・キングス時代のチームメートであるペジャ・ストヤコビッチは、NBA のBasketball Without Borders ( 国境なきバスケットボール)プログラムの一環として、NBA プレーヤーの一団をイタリアのトレビソへと導き、ユーゴスラビアが分離して以来、そのほとんどが集まることのなかった50 人の子供たちを連れてバスケットキャンプを開いた。この合宿では、子供たちに学習の場を与え、麻薬の危険性について教育することが重点となった。この 2 人はまた、トルコのイスタンブールでも、カウンセラーとして Basketball Without Borders キャンプに参加した。

Rocky Widner/ NBAE/Getty Images

「キャンプでは、お互いに対立している国の子供たちも来ていたんだけど、その子たちが国の問題を忘れて仲良くなるのを見て、すごくうれしかったよ」と、ストヤコビッチは言う。彼の組織である Children Foundation は、セルビア・モンテネグロ、ギリシャ、およびサクラメントの子供たちに、衣服やおもちゃ、日用品を提供している。

ディバッツとストヤコビッチが 同 じチームでプレーすることはもうないかも 知 れないが 、 そのことはこの 2 人 がチャリティー 活動 を 続 けて 行 くうえでの 障害 にはならなかった 。 この 夏、 ディバッツとストヤコビッチは 、共 に 7 月 18 日 にカリフォルニア 州 フォルソムでペジャ & ブラディー・バスケットボールキャンプを 行 い 、 また 、 7 月 15 日 にイリノイ 州 オークブルックで 催 される 、毎年恒例 の 第 6 回 チャリティーゴルフでは 、 ユタ・ジャズのアンドレイ・キリレンコとも 協力 する 予定 だ 。

ディバッツは、特に海外でNBA プレーヤーが演じる、手本としての重要な役割を理解している。

「ヨーロッパでのバスケットの絶大な人気を考えれば、俺が子供の頃に多くの NBA スターたちを手本にしていたのも当然だと思うよ。 今 なら 、 どうすれば 俺 たちが 子供 たちを 支 えて 、正 しい 方向 へと 導 いて 行 けるかが 分 かるんだ 。 」